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沿革 PAOS設立〜1970年代

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PAOSの歩み(代表的な仕事と研究成果):1970年代

'68

1968年4月1日
「株式会社PAOS」設立

PAOSのネーミングは、スタッフや友人知己が集まってのブレーンストーミングの中から生まれた、当時としては珍しい企業フィロソフィ・ブランドである。PAOS=Progressive Artists Open Systemなる言葉は、「常に進歩的・創造的・組織的に最適解を出す」という企業哲学を表している。

'71

1971年〜
CIのバイブルと呼ばれた「DECOMAS」刊行

「DECOMAS(Design Coordination as A Management Strategy)-経営戦略としてのデザイン統合」を刊行(三省堂刊)。この大部の書籍は、企業経営とデザイン戦略に関わる長年の研究活動の成果としての「理論編」、そして数年の資料研究を背景とした3ヶ月に及ぶ米国取材の成果としての「実例編」からなり、刊行後30数年を経て内容的に新鮮さを失わないといわれる貴著と評価されている。
「DECOMAS」は日本におけるCI事始めの書となったばかりでなく、その後CIのバイブルと呼ばれるに至った。その成果は国内では30年間に10版を重ねるロングセラーとなり、韓国・台湾・中国などにも大きな影響を与えた。

わが国初の本格的CIプロジェクト「マツダ」

「DECOMAS」出版の反響は大きく、その後次々とビッグ・プロジェクトの依頼を受けていくことになる。その始まりは東洋工業からMAZDAへのコーポレートブランド変更であり、ここでの諸々の開発は、わが国最初の本格的なCI開発プロジェクトとなった。特に、徹底したデザイン標準化メリットの追求を基本としたプログラム展開は、その後8年半を費やす大仕事となる。

'72

1972年〜
日本型CIの原点「セキスイハイム」

「積水化学が新たに立ち上げる画期的なボックスユニット工法の住宅事業を、いかにして成功に導くか」-これがPAOSが依頼を受けたプロジェクトの課題であった。この新規事業は東京大学の学生:大野勝彦氏の原案をもとに事業化を図る先進的構想であったが、建築工程の9割近くを工場のラインで生産し、短時間に現場で組み上げてしまうという量産化、世界初の斬新かつ進歩的な工法+デザインであったが、果たして市場に受け入れられるか否か、その可能性は低いとも見られていた。
PAOSではそのチャレンジ型プロジェクトに対しその内容を「事業フィロソフィ (コンセプトブック)」「ビジネス関連情報総覧 (ファクトブック)」「VIS (ビジュアルアイデンティティシステム)」「事業確立マーケティング戦略計画書」の4部作の提案にまとめあげ推進をはかる。やがてこれらは大きな相乗成果を生み、ビジネスデザインを成功へと導いて行く。そして後には積水化学そのものを支える中核事業へと育つこのプロジェクトは、事業開発型CIのモデルとも言え、PAOS独自のコンサルティング事業の雛形、記念すべきマイルストーンとなった。

'74

わが国初の企業文化戦略提案の論

『中央公論 経営問題』特集に、「私論企業の文化戦略」を寄稿。これは経営誌の一原稿ではあったが、わが国で初めて企業と文化の在り方を正面から論じたものであり、来るべき企業の公的市民化や、コーポレートシチズンシップ論を積極的に展開した、まさに時代先取り型の研究成果かつ提言であった。その後、時代は確実にここで予言した方向に進んで行く先駆け提案となる。

'76

ブランドイメージ戦略マーケティングで驚異的な売り上げ増「小岩井」

小岩井のプロジェクトで、PAOSは初めて食品パッケージデザインを核とするイメージマーケティング戦略を手掛ける。内容は、チーズ、バター等の7アイテムパッケージの刷新であったが、PAOSでは、個別商品への対応よりむしろ商品ブランド「小岩井」のBI (ブランド・アイデンティティ)展開を前提とした開発の方針策定を行い、コンセプトとデザインを提案。圧倒的な評価を得て受注が決定する。年末ギフトセットパッケージからスタートした新BIデザイン商品は爆発的な売れ行きを見せ、都内百貨店比で、対前年末売り上げ対比273倍を記録。その成果を受け次々と新商品や新事業のデザインを担当し、ブランドアイデンティティ・マーケティングの歴史に一大エポックを画す事例となっていく。

'77

名門老舗百貨店「松屋」の劇的蘇生、業と街の一体復活で成功

「銀座店を何とか救えないだろうか?」との相談が、松屋との最初の出会いでの注文であった。日本一と言われた商街区で100年余の歴史と地域一番の売り場面積を持つこの名門百貨店は、日本経済が安定成長期にあった当時、対前年比97%のマイナス成長状態に沈滞していた。そこに、今日の伊勢丹繁栄の礎を創られた山中カン氏を救世主に迎え、起死回生を図ろうとしていたのである。(同氏は1999年逝去。今も「ミスター百貨店」の尊称で呼ばれる名経営者)「どうすれば会社を潰さないですむか?」という課題解決への挑戦から始まったこのCIプロジェクトでは、当時魅力を失いさびれていた銀座の街の再興と、松屋の経営建て直しを併せて成し遂げるべきとの献策が認められ、《MATSUYA GINZA》のロゴを核とする再建プログラムを実施。その後二桁増しの急成長を遂げた同社は2年で復配にこぎつける。その後も成長路線を歩み続け、わが国の百貨店ビジネスにリニューアルブームを引き起こしていく。情報価値やイメージマーケティングの効果を知る稀なるトップ山中氏とPAOSとの出会いに始まりその後10数年に及んだこのプロジェクトの歴史は、デザインコンサルタント・ビジネスの新しいフィールドを創出した言っても過言ではなかろう。そして「デザインという切り札を持つ経営コンサルタントPAOS」の存在を広く知らしめる起爆ともなったのである。

'79

1979〜1983年
「企業とデザインシステム」シリーズ刊行

世界からの情報収集と研究活動の進展は更なる広がりを見せ、「企業とデザインシステム」A・B・C3シリーズ全13巻(日本語版・英語版/産能大出版局刊)の刊行を生んでいく。このシリーズは、企業哲学の構築から始まるCIやアイデンティティ・デザインの優れた啓蒙書として世界的に認められ、PAOSをこの分野のリーディングカンパニーに押し上げていく。


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